気さくで、面白くて、社会的にもしっかりしている隠れ毒親。でも子どもの心は誤魔化せない。

こんにちは。今年から、毒親についての投稿をしていこうと思っているのですが、まずは私自身の母親との関係をご紹介しようと思いつつどこから始めたらいいのやらで今に至っております。

私の母親って世間ではまるで毒親とは真逆の印象を受ける人も多いと思うんです。実際、教師をしておりましたから母をよく知る人は、教師らしい人といいう印象なんではないでしょうか。教師らしいという印象っていうのが、また曖昧すぎる表現ですが。

その上、おっちょこちょいで笑いのセンスもなかなかある人なので私の幼馴染などは、いまだに私が母を毒親呼ばわりすると、「そんなことない!」と否定するものです。

しかも、私こそ学生時代はグレちゃっていた時期もありましたので、まぁ世間から見れば「世話のかかる娘」だった訳です。世間の同情を集めたのは、むしろ母で私もその都度、自分がいけないのだと思い込んでいた訳です。

でも、今よく思い出してみるとおかしな成り行きになっていることが本当に多かったんです。

私は、学生時代よく問題を起こしていたのでそれについて叱られる訳です。

それを、反抗的な態度で言い返す。するとその言葉の何かに反応した母が、私を攻撃に入るのです。

まぁ、よくある親子喧嘩と言われて仕舞えばそれまでなのですが、今思うとその内容がね本当に過激なんです。

それで、とっても傷ついて言葉で勝てない代わりにどこかを蹴っ飛ばしたりなんかしてしまうと、今度はその事実だけが母親によって父親に伝えられたり。

母親の言い分には一貫性というものがありませんでしたので、これもいつも母の気分次第ということになるのです。

こうして私は、すっかり軸のない母の考え方に付き合わされ大人になると自分も全く軸のない考え方が出来上がってしまいました。

のちに欧米で教員の勉強しているときに、改めてこれが根本的な私の全ての問題だったのだと気付いていくわけです。

一貫性を持って話すって意外と難しい事だと、私も教師になってからは、生徒と話しているとよく思ったりもしました。

とにかく、心情でけではなく理性で話す。ここなんだと、つくづく感じた訳です。